ほぼ毎日日記

日々の良かったこと、悪かったこと書いてきます。

トラウマ

昨日、同期と電話をした。昔私を辞職まで追い込んだ上司が、また若い職員を虐めているという件であった。

今は淡々と仕事をして、楽しくやっているこの仕事であったが、2年生の時に本気で辞める気でいた。1年生2年生の時はトンネルの仕事をしていた。そこでいた私の直属の上司は45歳くらいでした。どの会社でもそうだが、30代から45までの層の人が明らかに少ない。私の会社でもそうであって、その現場では新入社員の上が45歳の社会人20年目以上の人であった。その人は仕事ができて、仕事に対して大変真面目であった。元請けとして、下請け業者さんに対して丁寧な説明や所長が思うことは事前に淡々とこなしていた人であって、優秀であった。しかし、私に対しては酷いものであった。「俺が新入社員のとき、2年目のときはこんなことは簡単にできていた。」「どうしてそんなに頭が悪いんだ?」「ADHDってわかるか?病院に行った方がいい。」などの言葉が毎日飛び交うところであった。自分が起こしたミスをとことん追求…というより追い詰める人であった。疑問点を聞くと、「なんでそんなことに疑問を持つ?意味がわからない。」と言われるので、聞くに聞けない。他の人に聞いても、わからないからその人に聞いてみてと言われる。そこで私のとった行動は聞かない、共有しないことである。そして、それが塵ツモになって、大きなミスへと発展して、やっと報告する。するとその上司は私を無視するようになる。仕舞いには「お願いだから、辞めてくれ。俺がメンタルもたないんだわ、お前のせいで。お前の顔を見るだけで嫌気がさす。」と言われる。当時を振り返ると私も私で、ミスったらどうしてようとかこのメール送っていいのかな?とか逆に聞かなきゃわからないことを聞かなかったりして、常に怯えて仕事をしていた。そんな中、その人から仕事を振られる。前の仕事ができていないのに、振られて頭がパンクする。正直大した量の仕事ではない。しかし、追い詰められていて、そこで追加で与えられた仕事というものは、頭に入ってこない。何が合っているかわからないのだ。そのような負のスパイラルでメンタルも崩壊していき、仕事も崩壊していった。当時、実家で暮らしていて、親からは難聴だと言われた。ただ体重だけはさほど変わらなかった。支えてくれた宿舎の母さんが本当に俺のためにと常に動いてくれた。だから、ご飯はしっかり食べた、感謝しかない。自分でも体に違和感を覚えて、こんな会社辞めてやると決断した。そこからは早かった。所長が早々に動いてくれた。今までノータッチであった所長がこのままではまずいとすぐにこの地獄の場所を追い出してくれて、次の配属先を決めてくれた。また、次の所長のところに挨拶までしてきてくれた。そこだけは感謝している。そして、その次の所長に恵まれた。その所長は私の恩人であって、その人がいなくては今の私は確実にいない。

そして、その意地汚い上司は、最後の最後で手のひらを返して、「俺が怖かったか?どうしたらいい?」「ごめんな」と言ってきて、最後の最後には「何かあったら連絡よこせよ」とまで言ってきた。2度とこちらから連絡しない。いくら仕事ができても、下のものに対する態度が酷すぎる。と今では思う。けども、当時は私が悪い。私が頭が悪いからついていけないし、この現場に迷惑がかかっていると常に思っていた。その通りであるのだけど、下の人間を管理するのも上司だろと今では思う。

そんなことを思っているが、実際にその人に直面すると、私はビビって何も言えないであろう。現に同期と電話で話が上がっただけでこんなにも戦闘態勢の気持ちでいるから。虐められていた記憶はただのトラウマである。

そして、今虐められている人は前の私と同じ状況下にいる。以前は仕事ができると評判であったが、今では仕事ができないらしい。そんなのそのクソ上司のせいじゃんと私は思ってしまう。実際に同期からは「君、よく辞めてないねこの会社」と言われた。同期はヘルプで1ヶ月間しかそこの現場にいないから、彼が貯めている仕事を全力で消化することと彼のメンタルケアを仕事としている。しかし、同期もその人への解決策がわからないからどうすればいいという問題で私に連絡をくれた。私は解決策は見出せなかった。唯一出た答えが私がもしその状況下に置かれたら、その人をいないものとして、全て1人で現場をやるしかないというものであった。早くそうなれるように、一人前になれるように日々過ごす。今後も私がこの仕事をする上でずっと立ちはだかる壁である。そのトラウマをいつ越えれる日が来るだろうか。